その初まりは明治5年、岸和田浜町船大工町に初代の烏野朝吉が業をおこしたのが初まりです。
二代目の正三は、家業をひきつぎ店舗を同市野田町に移転、同時に屋号を「石正」と名のる。
昭和48年に教太郎が3代目を受け継ぎ、現在地である流木町市営墓苑前に進出。
昭和51年、烏野正治が四代目を継承し、昭和53年には、現店舗に建て替えました。
このように、遠く明治初期から一世紀以上も脈々と受け継がれてきた技術と伝統は、いまの烏野石材の大きな財産とするところです。
墓石以外の実績を記すると岸和田市のシンボルである岸和田城の大門・資料館の石工事、夜疑神社の大鳥居、兵主神社境内、市民会館の石工事、久米田寺の金堂石工事、犬鳴山の玉垣工事、東鳥取・山直の忠魂碑などの建築石材施工など枚挙に遑がありません。 石と共に歩み初めて百三十余年の長い歴史を誇る烏野石材。 石匠烏野石材は、これからも石を通じて明日の時代を見つめ、皆様のご要望に誠意をもってお応えしてまいります。 |
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